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メッテル先生について

中学生のころ、祖父の家に行ったら、祖父がバイオリンを手入れしていました。 それがきっかけで、祖父からバイオリンを教わることになりました。

祖父は戦前、加納町3丁目に住んでいたそうなのですが、大正15年にメッテル先生が中山手2丁目に引っ越しして来られて、バイオリンを教え始めたので習いに行っていたとのことです。京大の学生の朝比奈隆がよく来られていたと言っていました。

メッテル先生は、ウクライナのヘルソン出身で、最初は弁護士を目指していたようですが、音楽が好きでペテルブルグ音楽院に入りなおしたみたいです。リムスキーコルサコフやグラズノフから指導をうけたようです。バイオリンは、当時音楽院でバイオリンの教鞭をとっていたアウアー先生から教わったのだろうと思っています。

メッテル先生の資料はWebではなかなか手に入らなかったのですが、笠置シヅ子をモデルにした朝ドラが始まって、NHKから、このよくまとまった解説が公開されました。

100年前のウクライナはロシア革命の動乱で落ち着いて音楽ができるような状態ではなかったようです。メッテル先生は、ロシア革命を逃れてシベリア鉄道でハルピン経由で神戸にたどりついたようです。 一時、ハルピンのオーケストラで指揮をして有名になっていたようで、来日してすぐに音楽の職につくことができたようです。

来日して少したって芦屋の文化村に引っ越しされたようで、祖父が習っていた期間は短かったようです。文化村のメッテル邸の写真を撮りに行こうとしましたが、残念なことに、行こうとした前年に取り壊されてしまっていました。

祖父はバイオリンを習うために、鈴木の「特二」というバイオリンを購入したそうです。当時はいい楽器と言われていたようで、大フィルの奏者から譲ってくれと言われたこともあったそうです。空襲で燃えてしまって「惜しいことをした」と言っていました。ということで、祖父からもらったのは、鈴木のNo.101という楽器で、当時毛替えとかに通っていたバイオリン職人の奥野さんからは、まったく価値のないものだと言われました。今でも持っていますが、それなりに音は出ます。

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